鶴岡八幡宮の周辺は都市・鎌倉の中でも一等地。
幕府の中枢や頼朝の御所が置かれ、著名な御家人が屋敷を構えていました。
若宮大路の北の端、一の鳥居の目の前には、北条氏の執権屋敷があったと考えられています。
北条義時の嫡男で、御成敗式目を定めた北条泰時の屋敷は若宮大路の突き当たり、現在吾妻屋さんや鎌倉紅谷さんがある一帯だったと考えられています。
M’sArk KAMAKURAビルの奥には「北条小町邸跡」と呼ばれている遺跡の発掘調査の遺構が保存されています。
床の一部がガラス張りになっておりその下にある建物の柱跡などを観察することができます。本物の発掘現場を見学している気分が味わえる、おすすめのスポットです。
若宮大路を挟んだ向かいにはお隣の藤沢市を拠点にしていた武士の大庭景義や土屋義清、そして初代の侍所別当で、三浦半島出身の御家人・和田義盛の館が並んでいたと考えられています。
この和田義盛もまた、十三人の合議制の一員でした。
三浦半島に本拠を置く三浦一族の一人だった和田義盛は、源頼朝の信頼も篤い武人でした。
建暦三年(1213)、当時の執権・北条義時を排除しようとする武士の企みに和田義盛の息子と甥が関わっていたことから義時の執拗な挑発を受け、耐えきれなくなった義盛はついに兵を挙げる決意をしたのです。
一説には、和田義盛の館は現在のいも吉館さんや小池ビルのあたりだったといわれています。
鎌倉中を戦火に巻きこんだ戦いの火蓋は、ここから切って落とされたのです。
2日間にわたって続いた激戦の末、和田義盛はついに討ちとられてしまいました。67歳でした。
明治二十五年(1892)に、由比ヶ浜付近の工事現場から多数の人や馬の骨が発見されました。
人々は和田合戦で命を落とした一族の墓だろうと噂し、和田塚と名前をつけてその霊を慰めることにしました。ただし、同じ場所からは埴輪なども見つかっており、ここは古代の古墳だったと考えられています。
鎌倉彫山水堂さんと三河屋本店さんの間の路地の奥には「北条時房邸跡・小池民部屋敷跡」と書かれた碑と歴代将軍の名前などを記した案内板が建てられています。
小池民部久時は源頼朝に招かれて都から鎌倉に下向し、鎌倉神楽の伝承者として鶴岡八幡宮の社官を務めたといわれています。小池ビルのオーナーはこの小池民部のご子孫だそうです。
ここには北条政子・義時の弟である北条時房も館を構えたといわれており、源ホテル鎌倉の入り口の奥には当時の井戸が復元されています(現在立ち入りは不可)。
若宮大路周辺の史跡
頼朝の刺客・土佐坊昌俊
若宮大路に並行して走る小町大路の北端に「土佐坊昌俊邸址」の碑が建っています。
土佐坊昌俊は大和国(現在の奈良県)興福寺の僧侶でした。伊豆出身の武士・土肥実平との縁で関東に下向し、源頼朝に仕えるようになったとされています。
文治元年(1185)、弟の義経との対立が決定的になった源頼朝は、ついに義経の追討を決意しました。
その意を汲んだ昌俊は京へ向かい、義経が滞在していた堀川に夜討ちを仕掛けたのです。しかし、義経の反撃にあい命を落としてしまいました。
2回移転した将軍御所
源頼朝から3代将軍源実朝まで現在の清泉小学校付近に置かれていた鎌倉殿の御所は、摂家将軍である藤原頼経の代に移転します。
雪ノ下カトリック教会の南の端から西に向かって伸びる小さな道は宇都宮辻子といい、ここに正門が置かれていたことから、宇都宮辻子幕府と呼ばれています。4代将軍藤原頼経の頃はここが政治の中心だったのです。
その敷地は若宮大路と小町大路の間、南北は雪ノ下カトリック教会から清川病院のあたりまであったと考えられており、幕府の中心にふさわしい広大さでした。
宇都宮辻子幕府は11年の間鎌倉幕府の中心としての機能を果たしていましたが、嘉禎二年(1236)にすぐ北隣に移転します。
広瀬電機のあたりがその北端だったと考えられており、作家・大佛次郎ゆかりの旧大佛次郎茶邸の傍らに建つ石碑がその場所を今に伝えています。若宮大路幕府と呼ばれたここが、これ以降の鎌倉時代を通じた将軍の御座所になりました。
「萩の寺」として有名な宝戒寺は、建武二年(1335)に後醍醐天皇が北条一族の菩提を弔うために建てたお寺です。元々は北条一族の宗家である得宗一族の館があったといわれています。
その裏にある葛西が谷と呼ばれる谷には鎌倉時代、東勝寺という名前のお寺がありました。
元弘三年(1333)に新田義貞の軍勢に鎌倉が攻撃されたとき、最後の得宗だった高時を始めとする北条一族はこの寺に集まり、一斉に腹を切って果てたのです。
現在は東勝寺の跡は空き地になっており、当時をしのぶすべはありません。
けれども背後の「北条高時腹切りやぐら」には、北条一族をしのぶ人々の手によって絶えず花が供えられています。
ライター:井上 渉子
主なお仕事
「お伽草子外伝 お伽草子紀行」(日本テレビ)
「乙女の平家物語」(新人物往来社)
「鬼滅の刃をもっと楽しむための大正時代便覧」(辰巳出版)